宇津見光則 宮司
岡崎八幡宮 35代目

 全国には、清酒の御神酒造りが許可された神社が4社あります。出雲大社、伊勢神宮、千葉の莫越山(なごしやま)神社、そして山口県宇部市の岡崎八幡宮です。
 その岡崎八幡宮は船木の東端にあり、かつて宿場町で栄えた町並みを小高い丘から見守っています。境内には樹齢700~800年と推定される大きなクスノキが鎮座し、境内に広がる豊かな枝葉が、訪れる人を優しく迎えてくれます。
 神主は、創建から35代目になる宇津見光則宮司。八幡様と共に受け継がれてきた清酒造りもまた大切に守っておられます。その宇津見宮司に岡崎八幡宮や清酒造りについてお話を伺いましたので、調べたことを交えながら紹介します。

岡崎八幡宮の御神酒造り

 岡崎八幡宮の御神酒は、秋の収穫を祝う新嘗祭(にいなめさい)などで振る舞われます。薄い琥珀色に澄んだ酸味が特徴的なお酒です。その造り方は代々口伝によって継承され、精米から始まるおよそ10工程のほぼ全ての作業を宇津見宮司お一人で行っています。

 清酒づくりは大変な作業であり、約1カ月ほどの日にちをかけて造ります。この期間は睡眠を取らない日が続くこともあります。中でも「一麹、二酛(もと)、三造り」と言われる最も重要な「麹造り(製麹)」では、蒸米に麹菌を乗せた後、返しなどを行うため一昼夜に2時間置きに作業に当たります。
 その後も、酵母の培養を行う「酒母(しゅぼ)造り」やアルコール発酵を行う「もろみ造り(仕込み)」の工程では、蒸米・麹米・水などの原料を加える作業が繰り返し行われ、朝昼晩の撹拌が欠かせないとのことです。

御神酒造りの始まりと現在

 この船木周辺には今なお神功皇后の伝説が色濃く残っています。4世紀ごろ、神功皇后が朝鮮半島に攻め入ったとされる三韓征伐では、船木の大クスノキで48艘もの軍船を造ったという言い伝えや、皇后が米作りを習い自らが手植えしたとの話もあります。
 そして、そのお米で御神酒を作り神様にお供えしたと伝えられる故事に因み、後に岡崎八幡宮で御神酒造りが始められるようになったそうです。
 現在でも室町時代とされる古来の製法に従って造り続けられ、原料となるお米もまた、その当時からこの地域で栽培されている古代米が使われています。
 口伝によって伝えられたままの醸造手法に従った御神酒のため、気象などによって出来が左右されやすく酸味が強い年もあるそうです。近年ではその改良を図るべく山口県産業技術センターの協力も得ているとの事でした。

岡崎八幡宮の歴史

 岡崎八幡宮は、船木地域の産土神(うぶすながみ)です。今から約1250年前の奈良時代、天皇の勅使として大分の宇佐八幡宮を訪れた和気清麻呂(わけのきよまろ)が、神功皇后に所縁のあるこの船木に立ち寄り、宇佐八幡宮の分霊を勧請して創建されたと伝えられています。宇津見家は、苗字は何度か変わったもののその当時からお仕えしているとのことでした。
 また、岡崎八幡宮は一時衰退の時期もあったとのことですが、室町時代の有力守護大名である大内氏による庇護を受け再興しました。戦国期から江戸時代の大大名である毛利氏にも特別な待遇を受け、藩より毎年42石(米俵105俵分)のお米を献納され、お城の枡席では他の宮司よりも上段の席に座っていたとのことです。

シーボルトコギセル

 岡崎八幡宮のクスノキには、煙管(キセル)のような細長い巻貝が生息しています。昔から旅や航海など旅立ちのお守りとして身に付け、無事に帰ってくると元の場所に戻す風習があったようです。生命力が強く、徴兵で戦地に赴く兵士が竹筒に入れて持参し、帰還後に岡崎八幡宮を訪れて元の場所に元したという話を、幼いころの宇津見宮司もよく耳にされたそうです。
 現在は、残念ながら環境の変化のためか、生息数は減少しているとの事でした。

将来への継承

 宇津見宮司へ「将来へ受け継ぎたいもの」を伺いました。
 まずは清酒の御神酒造り。神功皇后に所縁があり、時代を超えて代々続けられてきた酒造りは「決して止めることはできない」との強い思いをお待ちです。現時点では後継者となる方がいらっしゃらないこともあり、醸造の一部については作業をを総代さんに手伝ってもらうことや、口伝であった製法も紙に書き残すなどしているとのことです。
 その他、正月にお供えするお餅にも特徴があり、鏡餅に黒豆を入れて重ねたり、重ねた鏡餅の前に小さなお餅を並べてお供えする風習があるようです。前者は毛利のお殿様が疱瘡にかかり願掛けのために供えたもので、後者はお殿様と家来を表しているのではないかとのことです。さらに、蒸したお米を竹筒に入れ突き出して形作る神様へのお供え物「お御供(おごく)」なども特徴的です。
 宇津見宮司はこのような伝統的・特徴的なものは、後世に残していくべきだと考えておられます。

最後に

 宮司のお務めは楽ではなく、周囲に気を使うことも多いとおっしゃられます。しかも、宇津見家は、同じ船木地区にある住吉神社にも代々お仕えをしています。前述の伝統的な清酒の醸造や伝統的な神事もあり、大変なお仕事をされていることは容易に想像できます。
 これまで受け継がれてきたものを、後世に残し伝えなければならないという使命をお待ちであり、大きな責務と覚悟を宇津見宮司が一人で背負われるようにも感じられました。
 地域を見守る神社仏閣は、町のシンボルの一つと言って過言ではないと思います。生まれるずっと前から町に存在し、この先も鎮座し続けると思っている神社仏閣も、宇津見宮司ような方々のおかげで町にあり続けていることを改めて気づかされた思いです。


《神社と御神酒造りとは》
 清酒の御神酒造りを行う神社は全国に4社ですが、濁酒(どぶろく)まで含めると44社あります。両者の違いは、もろみを搾って酒粕を取り除くかどうか。基本的には神社でも企業と同様に酒税法の醸造免許が必要で、清酒は「清酒製造免許」、濁酒は「その他の醸造酒製造免許」です。原料や製造工程、品質などの規定が清酒の方が厳しく、年間の最低製造見込数量も濁酒の6KLに対して清酒は60KLとハードルが高くなっています。また、現在清酒製造の新規参入は制限され、新規事業者が新たに清酒製造を始めることは難しいようです。
 岡崎八幡宮では小規模な醸造ではありますが、宇津見宮司のお話では、古代米を使い伝統的な製法で醸造しているため許可されているのだろうとのことでした。